| 大正12年の関東大震災を契機に、サラリーマン階層の |
| 膨張も加わり、都市化は市内から西南部の郊外へ拡大 |
| し、いわゆる文化住宅街の進出が始まりました。 |
| 進出の足になったのが『郊外電車』で、そのひとつ西武 |
| 農業鉄道も、昭和2年1月に高田馬場・東村山間の工事に |
| 手着、信じられないハイペースで同年4月には開通してしま |
| いました。 当時、中国大陸への侵攻作戦に必要な演習と |
| して、千葉県習志野の鉄道連隊が請負ったものでした。 |
| すでに、野方町役場が、木造二階建てながら荘重な洋館 |
| 建築を誇っていた事を根拠として、その至近距離に『野方』 |
| 駅が開業しました。畑を切り刻む工事と、駅の出現に 目を |
| 見張 った地元の人々は以後、一層急激な地域の変貌に |
| 直面することになりました。 |